老年期の欲求・不安と年寄りと思われたくない心理 - +医療従事者と患者の広場+ ~看護師や作業/理学療法士etcの国家試験/解答速報、病気/怪我の治し方まで+

老年期の欲求・不安と年寄りと思われたくない心理


スポンサードリンク

老年期の問題について、具体的な例を挙げてちょっと解説してみます。

スポンサードリンク

 

老人の取り巻く環境の変化と老人くささの否定

roujinn-kaigo-gazou

第一線かつど運仕事を終えた老年期にも、まだ社会的に役立つ人が多い。人生の終盤にあって、この世をいかに有意義に過ごすかが老人に課せられた宿命ともいえる。

迫りくる体力の弱まりと、時日の少なさに、老いの一徹とも言うべき、頑固さ、怒りっぽさ、おしゃべりに愚痴、疑い深さとひがみ根性がでてくる。昔のことが懐かしく、また美しくも感じられ回想されて、強い愛着と共に今日の若者の行動を批判したくなる。

脳細胞の減少と共に認知面の低下、恍惚の人といわれる末期的状態に至った人は別としても老化現象の個人差の大きさを知らされる今日である。


世の中が変化し、未経験なことに遭遇させられると、休息には適応が出来ず、自分の古い経験から判断したことでこれを処理しようとする。若い人との意見の相違がおこると、これを修正することも出来ず、引っ込み思案をして、心の狭さに自分を苦しめていく。会合に出たり、人との面接も大儀になり、人見知りをしてあいてに溶け込む時間がかかる。


身近な人が死んだこと、新聞に目を通すにも死亡者欄に眼が向くこととなり、孤独な寂しさと億劫さが身をふしだらにし、不潔にし老人体臭の強さなどから世間から遠ざかっていく。


 

老人と思われたくない心理

老人はどんな目でみているかということにひどく神経質になっていて、一面服装などを派手にしたり、化粧水をつかったりして老人と思われたくない気持ちに挑戦している。

これは老人気質といわれるものが根底にあり、これを分析してみると、老人が物忘れがひどいといわれるが、幼児期に脳の襞に刻みこまれた古い記憶は案外正確で、昔の思い出にふけることができ、追想を楽しみにすることができる。

また、壮年期にひとからあがめられ、大事にされていた経験と記憶が何時までもこころにのこり、今まで通りの尊敬を受けたい、なんらかの仕事の中心人物でありたいという願望が強く働き、それが現に認められなくなってくると一層過去の状態がよい時代に映り、現在が惨めになって愚痴をこぼしたくなるわけである。

現在の自分の情態や変化には、案外気づいていないようで、外見、風貌、態度、動作、言語がどんなに人に感じられているかもわからない。時代の変化に順応する力が弱く、時代に対する不満と愚痴が多く、追いやられて住みにくく、移り変わる社会では被害者意識と孤独感が高まってくる。それだけに新しいことには順応しにくく、習いにくく、騒がしい情態が苦痛に感じ自分で処理できない神経の高ぶりを感じると隠遁する。

新しいことに適応しにくくなってくる自分は、自分の知っていることに結びつけて解決しようとする。一途な気持ちで、世紀任官が強く、几帳面であることは、やりだすと中途で変更することはできない。過去にけいけんした考え方や評価、判断などを基準とするから保守的な傾向が強く、昔のお世話になった恩人のことはよく覚えていて、その人のためになんらかの形で感謝の位を表しておこうとする義理固い人情は復活してくる。

一人ぼっちでいることがさびしくてやりきれない。今の老人たちはいままで育てた子どもが必ず面倒を見てくれるもの信じているから、子ども夫婦が別居しようとすると、やるせない気持ちが先行して、騒ぎ立てたりする。

 

昔の知り合いの友を探して、ゆうじょうを 復活したいという願望も、お互いに頼りにする人を求めている心で、一人ぼっちにされそうな不安なときは、少しでもひとからよく思ってもらいたい態度に変わってくる。

多く積み上げた自身を持っていることから、この自身を崩されるのが非常に苦痛で、自分に関係のある事柄には顔を出して、そこで何らかの役に立つ取り扱いを受けたがる。そして独りよがりの自慢に満足している。自分のペースのままで生活し、考えるのが一万気楽ではあるが、ひどく感情を害されたり、急に行動をみだされることがあると苛立ち短期をおこすなど、感情のバランスが崩れやすい。

老年期の欲望

 

安定の欲求

過去の業績について自慢したがる心、恩着せがましくする心、でしゃばりをしたくなる心も、安定を取り戻したい心の現われである。

自信をもてやってきた仕事の一部でもやらせてもらって、自分の力はまだ捨てがたいものである、人々のために役立っているのだという喜びを味早稲手挙げることで、自分はまだ必要とされている、自分の存在と価値が認められていると、自分自身を取り戻させることである。

承認の欲求

自分の感覚が衰えてきていることは自分自身にもよく分かり、残念には思っているが、これをだれかから指摘されたくない心が潜在していて、強がりを言っていることが多い。

衰えの確信に振れた話になると反発的な気持ちになる。衰えを認め、卑下しながらも、謙遜しながらも、自慢したい、維持していたい、そしてみんなの承認を得たいと願望している。

役立つチャンスを与えてあげる、社会の承認の与えられる立場を作ってあげるということは、老人の生きがいにつながるもので大事なことである。

知識への欲求

記憶力、特に機械的記銘力の衰えを見せるのが普通であるが、経験が豊かで、広い立場にたっての適切な判断の出来る可能性を持っている人が多い。

いわゆる知恵の力を活用してあげることで衰える脳の力を若がえさせることができる。新しい知識を吸収することは困難であっても、珍しいものを見たり聞いたりすることが楽しいものである。

それがかつての経験に関係あることとなれば、古くから貯えられている事柄に結びつきやすいので、割合に容易に受け入れられることが出来る。

愛情の欲求

支えをもとめる老人たちの心の中には愛情の欠乏がある。愛情を示してくれる人は、自分を理解してくれ、自分のためを思ってくれる人で、何時も関心を持っていてくれるひとだとの、自己中心的な愛情を欲求している

また、自分には人に愛情を感じてもらえる機会も少なくなり、その機会があっても十分に能力が発揮できない寂しさを味わうことが多い。南下の機会があっても十分に能力が発揮できない寂しさを味わうことが多い。

なにかの機会に人にささげる愛情も経験してみたい気持ちが強くなっている。同情されるよりも愛情がほしいのである。ささやかな気遣いをしてくれた人の心は、子おなくうれしいものである。人を愛することで人から頼られる喜びを受容する。自分に甘えてくれる相手に惜しみなく愛情をそそぎたい心が起こる。

生存の欲求

死にたい死にたいといっている老人にも生命力をもつ間は肉体が死を許さない。今日、老人の青梅マラソンやジョギング、クリケット、ゲートボールの大流行は長寿を意識しての行動表現にほかならない。

年をとってきても「お元気ですね」「お若く見えますね」といわれると心爽やかになるものである。年寄りには、時々年をたずねてあげることもよい。「お若いですね」「お美しいですね」と、それをまた期待している心がある。

スポンサードリンク

コメント
非公開コメント


にほんブログ村 病気ブログ リハビリテーションへブログ王へ

トラックバック
当サイトのテキスト・画像等すべての転載転用、商用販売を固く禁じます 
Copyright © +医療従事者と患者の広場+ ~看護師や作業/理学療法士etcの国家試験/解答速報、病気/怪我の治し方まで+ All Rights Reserved.
当ブログの広告・免責事項について Creative Commons License
This work is licensed under a Creative Commons Attribution-ShareAlike 3.0 Unported License